記憶の壁 未来を塞ぐもの
2021年12月10日 UPDATE
Written by: 辻大介
カテゴリー:ブログ
生きている限り、膨大な情報や知識が目の前を通り過ぎる。無視していいものもあれば、そうできないものもある。
生活上で、少なくとも我々は、幾つもののことを記憶していなくてはいけない。
まるで記憶することが仕事になっている人も多いが、同時にパソコンも記憶してくれているので、それが手助けになっているはずなのだが、あまりにも膨大なデーターが残っていたりすると、それを管理しているうちに、なぜか負担になっていることに気づく。
我々の周りのデーターは果たして、我々の記憶には無関係ではいられないのだと感じることが最近多い。データーの扱いや保存の方法が悪いのか、もしかすると紙文化の時の保存や管理の方が、ずっと感覚的に違和感なかったのかもしれない。
すぐに、データーが出ることが、我々の脳の記憶のメカニズムにも悪影響を与えているのだと思います。検索すれば簡単に出てくる情報と同じように人の情緒や感情、感性の世界が扱われるべきではないと思う。
古い書物を一気にデーター化する動きがあるが、保存という点では意味があると思うが、時代の流れと共に風化するものもあり、そういった消えゆくものに対する寛容さみたいなものもあっても良いのだと思う。
必要なものも不必要なものも同じデーターに保存し、人の脳がもしそういった感覚で記憶を残していたら、ある日突然に失ってしまうことがあってもおかしくはないと思う。長期記憶と短期記憶と単純には言うけど、それらが、いつの間にか混じり合ってしまうことも多いと思う。
記憶の扱いを間違うと、それらが未来に役立てるどころか、未来に立ちはだかってしまうようにもなる。
消えゆく記憶、残っていくべく記憶その違いにしっかりした基準を持っているだろうか。
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