鏡の世界 転写について
2025年07月31日 UPDATE
Written by: 辻大介
デジャブという感覚がありますが、私たちは何から何まで初めてのことばかりではなくて、毎日よく親しんだものや、よく分かっているものに触れながら、暮らしています。
その中でも、まるで舞台の主役のように、ある記憶が前に出てきたりすることがあって、それがどうして気になって仕方がないのかわからないけれども、しばらくしてから理解したりすることがあります。
単に数日前の記憶から、およそ何時のことかわからないことまで、毎日あらゆる記憶が影響を与え続けています。
そのことを一つづつ整理していかなければ、そういった思い出すこと自体にも意味がわからなくなって、単に昔の記憶を思い出している現象そのことに振舞わされるだけになります。
私たちの過去の記憶は、それが浅いものから深いものまで、おそらく無駄なものは一つとしてなく、単に通過地点の記憶であっても、それを思い出すことで貴重な感情を取り戻すようになるのではと考えています。
香りを選ぶときに、言葉も何も用意していない中で何故か何の迷いものなく、選ぶことがあります。そのことは、我々は記憶の何かが写ったとして捉えます。
転写することは、タイミングや条件などが揃わないとうまく映ることは出来ませんが、普段は自分の記憶や心の奥にあって、なかなかアクセスできないものでも映し出すことは出来ます。
映し出したあと、それをはっきり形にしていきます。翻訳作業と呼んでいますが、調香がそれにあたります。
自分が忘れていた世界がそこにあり、それが時には前世や来世のようなものも写ることもあります。
言葉を失い、はっきりとした記憶の断片にないものでも、それが目の前に現れると自分の記憶であったような確信を持つこともあります。
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